siseiryu美術館・博物館放浪記

今までに観に行った美術館・博物館などの記録です。

♯189 ラフ∞絵展

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観 覧 日 : 2019年4月13日

会  場 : 3331 Arts Chiyoda

H  P : https://www.3331.jp/schedule/004727.html

展示作品 : ラフ∞絵

期  間 : 2019年4月2日 ~ 4月16日

料  金 : 2,000円 ・ 図録 3,240円

総展示作品数 : 1400点以上

セクション(構成) :6区画

タツノコプロ アンド NUNOANI塾

・天野 喜孝

・大河原 邦男

・秋元 治

・チェンジ アンド チャレンジ

・高田 明美


感想 :

優れた絵はいかにして生まれるのか?
その謎は絵を生みだす制作過程で見ることでわかるかもしれない。しかし通常の作品は完成して初めて世の中に現れる。そんな機会はほとんど存在しない。その常識を打ち破った展覧会「ラフ∞絵」が4月2日より16日まで、東京・秋葉原地区の3331 Arts Chiyodaで開催されました。完成に至るラフな絵を完成した作品と共に展示するものです。しかも参加するアーティストは秋本治天野喜孝大河原邦男高田明美の4人。いずれも個性やスタイルは違えども各分野で活躍する第一人者である。ひとりひとりだけでも大変なのに、これでだけ揃うともはや事件である。

企画展が実現したのには仕掛け人がいる。アニメスタジオ・ぴえろ創業者、プロデューサーとして日本を代表する数々のヒット作を生み出した実行委員長の布川ゆうじである。5人で集まった際に描いてもらった線画の美しさを見て、これを世に紹介したと思いつき、すぐに動きだしたという。そんな布川の情熱から生まれた「ラフ∞絵」はとにかく見どころがたっぷりだ。というよりも、どこから楽しんでいいか迷うぐらいである。

秋本治さん、天野喜孝さん、大河原邦男さん、高田明美さん。「こちら葛飾区亀有公園前派出所」「ファイナルファンタジーシリーズ」「機動戦士ガンダム」「魔法の天使 クリィミーマミ」など、国内はもとより、世界でもファンが多い数々の漫画、アニメ、キャラクターデザインを生み出してきた4人のアーティストたち。そして、彼らの活動の"はじまり"となった交差点、タツノコプロで出会った"演出"の布川ゆうじが本展のプロデューサーを務めます。

この展覧会では、4人のアーティストの作品になる前のラフ絵とともに、作品が生み出されるその瞬間に迫ります。ネームとは、マンガを描く際のコマ割り、コマごとの構図、セリフやキャラクターの配置などを表したもので、マンガ制作のおける設計図のようなものです。アニメでは絵コンテといい、作者や作品によって、できあがりかたは様々ですが、作品の伊吹を感じられます。展覧会では4人の作家の代表作を中心に、約1400点以上のラフ絵と完成原画を紹介します。

一番はもちろん、展覧会のタイトルともなったラフ絵の魅力。展覧会の開会式に参加した4人は、恥ずかしいところもあるけれどと、それでも完成前の絵を快く展示しました。
一方で今回のために制作中であった作品を完成させた天野、アニメーター時代の動画を展示した秋本、「これなら自分だけ」と造型にこだわった大河原、『うる星やつら』や『オレンジロード』など懐かしい絵の版権イラストのラフを集めた高田とそれぞれがこだわりを見せます。

4人の作品はそれぞれが独立したスペースを設けて、独自の世界を創り出す。ただこれを放っておけば、全てが個性的なだけにバラバラな方向に引っ張られた散漫な企画になってしまう。
それを見事につなぎとめたのが、今回の展覧会のための企画「チェンジ・アンド・チャレンジ」だ。 4人のアーティストがそれぞれ、「描いてみたかった」と語る他のアーティストの代表作品を描きます。例えば、大河原邦男さんデザインの「装甲騎兵ボトムズ」を秋本治さんが描く、天野喜孝さんが高田明美さんデザインの「魔法の天使 クリィミーマミ」を描く......。秋本さんの描く『機動戦士ガンダム』、天野さんによる『こちら葛飾区亀有公演前派出所』、大河原さんの『クリィミーマミ』、高田さんの『吸血鬼ハンターD』などなど、それぞれが他の人の代表作を描きました。
開会式では、高田さんや大河原さんは「ファンから怒られるんじゃないか」と気をつけたと話します。プレッシャーは相当だったはず。しかし意表を突いたアレンジからは楽しさばかりが感じられます。これらが4人を互いに結びつけ、華やかな才能の共演を演出していました。

もうひとつ4人の重要な共通点がある。実は4人はいずれもが老舗のアニメスタジオのタツノコプロ出身だ。同じ時代に同じ場所で働いていた。今回の企画を推進した布川ゆうじも、ぴえろを立ち上げる前はタツノコプロで働いていた。同窓会的な結束を感じさせる。
時としてある時代、ある場所に、傑出した才能が集まることがある。1970年代のタツノコプロもそうした場所だったのだろう。

そして最後にもうひとつ、忘れていけないコーナーがある。「NUNOANI塾」の活動紹介だ。6年前に次世代のクリエイターを育てたいと布川がスタートした演出とプロデューサー養成の私塾である。
その立上げは、多くの才能の共に仕事をし、時には見出してきた布川だけに、作品を生みだすクリエイターの大切を人一倍感じていたためかもしれない。NUNOANI塾からは、業界内のステップアップ、キャリアチェンジも含めて現場で活躍する者もすでに現れている。
NUNOANI塾を紹介することで、今回の展覧会が単なる回顧展でないことが分かる。優れた才能を紹介することで、未来の方向を示すものなのだ。アニメーターでもイラストレーターでも、デザイナーでもそのジャンルは問わない。絵を描くことを目指す人には是非足を向けて欲しい展覧会でした。


秋元治
東京都葛飾区亀有生まれ。漫画家。中学校に入り、母親に買ってもらった石森章太郎の『マンガ家入門』を擦り切れるまで読み、ペンの種類や描き方などを知る。高校卒業後、アニメーターを志しアニメ制作会社「竜の子プロダクション」に入社。2年間動画などを務めた後、退職。1976年『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(以下こち亀)を新人賞に応募する。月例ヤングジャンプ賞入選作品に選ばれ同年連載開始。「週刊少年ジャンプ」にて1976年42号から2016年42号まで一度の休載もなく40年間連載された。この記録は「週刊少年ジャンプ」歴代連載作品の中で最長の連載記録であり、「少年誌の最長連載記録」となっている。また、コミックスの発行巻数が多い単一マンガシリーズでギネス世界記録を保持。実写映画化、アニメ化、ドラマ化、アニメ映画化、舞台化、ゲーム化といったメディア展開だけでなく作品の舞台となった亀有では『こち亀銅像が建てられ、老若男女問わず愛される作品作りが評価されている。また、『こち亀』連載中に多数の作品を発表しており『Mr.Clice』(ミスター・クリス)もまた、40年間続いている人気作である。『こち亀』終了後には4誌で新連載をスタートするなど意欲的に活動を行っている。

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天野喜孝
静岡県静岡市生まれ。1967年アニメ制作会社「竜の子プロダクション」に入社。『科学忍者隊ガッチャマン』『タイムボカンシリーズ ヤッターマン』など数々のヒット作のキャラクターデザインを手掛ける。1981年、ハヤカワ「S-Fマガジン」誌に『トワイライト・ワールズ』を発表し出版界デビューを果たす。独創性に溢れた作品世界はSF・ファンタジー界に衝撃を与えた。1983年に発表された『吸血鬼ハンターD』のイラストレーション、1987年ゲームソフト『FINAL FANTASY』のイメージイラストで若い世代の圧倒的支持を獲得しその支持は国内だけでは収まらず世界的な支持を得ることとなる。イラストレーションのみの評価に収まらず1992年『楊貴妃』の舞台美術、1994年には『海神別荘』の舞台美術、衣装デザインを担当した。2007年には夏目漱石の小説『夢十夜』を原作とするオムニバス作品『ユメ十夜』で第7夜の監督を担当した。海外での個展も多く1997年にはニューヨークをはじめ、ロンドン、パリ、南仏などで個展を開催。最新の個展は2018年10月ニューヨークで行っている。1983年~1986年第14~17回星雲賞、2000年アイズナー賞:"THE SANDMAN:The Dream Hunters"、2000年ドラゴン・コン賞、ジュリー賞、2007年第38回星雲賞、2018年インクポット賞。

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大河原邦男
東京都稲城市生まれ。 東京造形大学を卒業後に、アパレルメーカーを経て、1972年アニメ制作会社「竜の子プロダクション」に入社。当時の専務から、美大を出ているのだから美術課で働いてみたらどうだろうと勧められたのが決め手となりアニメの背景や小物の設定を行い、アニメの世界観を作る役割の美術を選び1972年『科学忍者隊ガッチャマン』のメカデザイナーとしてデビュー。『破裏拳ポリマー』『宇宙の騎士テッカマン』『ゴワッパー5ゴーダム』などを担当後、退社。1976年、中村光毅とともに「デザインオフィス・メカマン」を設立。以降現在までフリー。『無敵鋼人ダイターン3』からサンライズ作品を手掛けるようになり、1979年『機動戦士ガンダム』のメカデザインで多大な評価を得る。それまでは美術の一貫だったメカニックデザインを新たな職種「メカニックデザイナー」として業界内に確立した。近年ではアニメーションの仕事の他、東京都稲城市のマスコットキャラクター「稲城なしのすけ」や未来型の超小型モビリティー「machina(マキナ)」のデザイン、海外からのフィギュアデザインのオファーを受けるなど、国内外で精力的に活動中。

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高田明美
東京都小金井市生まれ。 多摩美術大学グラフィックデザインを専攻し、卒業後、アニメ制作会社「竜の子プロダクション」に入社。『科学忍者隊ガッチャマンII』『科学忍者隊ガッチャマンF』キャラクターデザインとして参加。職業としてのキャラクターデザインを学んだ後、1981年よりフリーとなる。フリーになってからはアニメ制作会社「スタジオぴえろ」作品に数多く参加しており『うる星やつら』『魔法の天使クリィミーマミ』『きまぐれオレンジ☆ロード』『魔法のステージファンシーララ』などがある。『魔法の天使クリィミーマミ』は魔法少女ブームの火付け役となりアニメ業界に多大なる影響を与えた。1988年創刊された「PC Engine FAN」では表紙を担当し、1996年10月号の休刊まで担当することとなった。同1988年ゆうきまさみ出渕裕伊藤和典押井守と共に結成した「ヘッドギア」から『機動警察パトレイバー』を発表。キャラクターデザイン、小説のイラストレーションを担当し今も多くのファンに支持されている。2003年よりジュエリー制作に目覚めたことで、2007年春に自身のブランド「ANGEL MYTHOS」を立ち上げ、現在も多忙な仕事の合間にコツコツと制作している。日本、アメリカ、香港、台湾などで原画展、個展、グループ展を定期的に数多く開催し国内外にファンが多い。 2020年以降『PATLABOR EZY』を始め、多数の新作アニメの発表が待たれている。

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布川ゆうじ
山形県酒田市生まれ。 日本デザインスクール卒業後、1967年アニメ制作会社「朋映プロ」入社。アニメーターとして『宇宙少年ソラン』『冒険ガボテン島』などに加わる。その後、「虫プロダクション」「ネズプロ」「スタジオじゃっく」などのスタジオを経験。「和光プロダクション」で『カバトット』を担当し演出家としてデビュー。タツノコプロの監督である笹川ひろしに見込まれて1971年「竜の子プロダクション」に移籍入社。『いなかっぺ大将』『新造人間キャシャーン』『タイムボカン』『タイムボカンシリーズ ヤッターマン』などの作品を担当する傍ら押井守ら若手演出家を指導して面倒を見た。1978年上梨満雄やときたひろこら4名で演出家グループ「スタジオぴえろ」を発足し『みつばちマーヤ』を手がけ、1979年『ニルスのふしぎな旅』を制作するために『株式会社スタジオぴえろ』を設立。以降『うる星やつら』『魔法の天使クリィミーマミ』『きまぐれオレンジ☆ロード』『NARUTO』『BLEACH』『おそ松さん』日本初のOVA『ダロス』など、多数の作品を手がける。2002年日本動画協会の設立に携わり、2009年から2014年まで理事長を務めた。2013年からは映像制作の演出技術とプロデューサー力を育成する、NUNOANI塾を設立し、塾長を務めている。


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今回は転勤で観にいけるか分からない状況の中計画し無理やり観てきました。
観に行けて本当によかったと感じ、あれから1年も経ってしまいました。
なんとか時間を作りこの企画展に行ったところ、ちょうど秋元先生が作品の解説をしていました。
それこそ目の前1メートルもない距離で作品(主にこち亀ですが)についてのエピソードのお話を聞く事ができてとても運が良かったと思います。ラフ画はなかなかみることは出来ないのでとても貴重な作品を観ることが出来たと嬉しく思いました。

コロナで美術館も閉まっていますが、また観に行けることを願いつつ・・・。

タツノコプロについて詳しく知りたい方は、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%84%E3%83%8E%E3%82%B3%E3%83%97%E3%83%AD
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