siseiryu美術館・博物館放浪記

今までに観に行った美術館・博物館などの記録です。

♯185 クマのプーさん展

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観 覧 日 : 2019年3月21日

会  場 : Bunkamura ザ・ミュージアム

H  P : https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/19_pooh/

展示作品 : クマのプーさん

期  間 : 2019年2月9日 ~ 4月14日

料  金 : 1,500円 ・ 図録 2,916円

総展示作品数 : 150点  (内説明あり)56点

セクション(構成) : 5区画

 第1章 さて、お話ははじまります

 第2章 お話は、どうかな?

 第3章 物語る術

 第4章 プー、本になる

 第5章 世界中で愛されているクマ


感想 :

さて、お話は はじまります

息子クリストファー・ロビンとそのぬいぐるみがお話のモデル
クリストファー・ロビン・ミルンは、父A.A.ミルンと母ダフネの間に生まれた一人っ子でした。「クマのプーさん」、あるいは縮めて「プー」と呼ばれていたのは、手足が長く、おなかを押すとうなり声をたてる大きなぬいぐるみのクマで、クリストファー・ロビンのお気に入りでした。子ども部屋には、ほかにもプーの仲間がいて――最初がイーヨー、それからコブタ、カンガとルー、トラーが加わりました。遊んでいるクリストファーをみながら、父親は彼らの冒険を記録していきました。

ミルン一家が週末をすごす家に近いアッシュダウンの森が、クリストファーの探検の舞台となりました。シェパードもここを訪れ、森やクリストファーのおもちゃをスケッチしました。しかし、彼の絵は、自身の息子グレアムと、そのおもちゃのクマ、グラウラーからヒントを得ています。

クマのプーさん』の冒頭で、クリストファー・ロビンは、クマをつれて2階からおりてきて、おとうさんにお話をせがみます。そこでミルンは、森で経験したいくつもの冒険のひとつを話してやります。お話が終わると、階段は、お風呂とベッド、つまり現実の世界へもどる、象徴的な存在になります。

このシュタイフ社のぬいぐるみは、E.H.シェパードの息子のグレアムがもっていたクマのグラウラーに似ています。ドイツのぬいぐるみメーカーのシュタイフ社は、1902年に、最初のテディベアを作ったことで知られています。

物語の舞台「百町森」のモデル
―アッシュダウンの森

1925年から、ミルン一家は、イースサセックスのハートフィールドにあるコッチフォード・ファームで、週末を過ごすようになりました。クリストファーは、近くのアッシュダウンの森を含む家の周囲を、降っても照っても、探検するようになりました。しかし、彼の「てんけん」のはじまりは、庭の大きなクルミの木でした。お茶の時間になると、クリストファーは家に戻って、冒険してきたことを話しました。それがもとになって、『クマのプーさん』『プー横丁にたった家』の2冊が生まれたのです。

森はいつでもそこにあります……。
そして、クマと仲よしのひとたちなら、だれでもそれを見つけることができるのです。
―『プー横丁にたった家』、ミルンの前書き「ご解消」より


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「バタン・バタン、バタン・バタン、頭を階段にぶつけながら、クマくんが二階からおりてきます」、『クマのプーさん』第1章


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百町森の地図、『クマのプーさん』見返し用のスケッチ


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A.A.ミルン、クリストファー・ロビン・ミルンおよびプー・ベア、ハワード・コスター撮影、1926年


お話は、どうかな?

原画でたどるプーと仲間たちの名場面の数々
クリストファー・ロビンが、おやすみまえのおはなしを聞こうと、しずかに暖炉の前に座っているとき、父親のA.A.ミルンは、目の前の幼い男の子を見ると同時に、自分の幸せな子ども時代もふりかえっていました。これらのシンプルなお話は、遊び心たっぷりの空想から出たものですが、日常に深く根ざしたものでもありました。テーマは子ども時代、ちょっとした事件や思いちがい、仲良しとけんか、冒険と問題解決、読み書き計算を学ぶことなどでした。

「つまり、こういうことなんです。」と、プーはいった。
「風船でハチミツをとるにはね、ハチミツをとりにきたってことを、ミツバチに知られないようにするのが、だいじなことなんです。」より
―『クマのプーさん』第1章「わたしたちが、クマのプーやミツバチとお友だちになり、さて、お話ははじまります」より

クリストファー・ロビンが、プーの前足をつかまえ、ウサギがクリストファー・ロビンにつかまり、それから、ウサギの親せき友人一同が、総出で、ウサギにつかまり、みんなが、いっしょにひっぱりました。
―『クマのプーさん』第2章「プーがお客にいって、動きのとれなくなる話」より

「ああう!」と、トラーは、わきをとんですぎる木を見ながら、どなりました。
「気をつけろ!」とクリストファー・ロビンがみんなにさけびました。
―『プー横丁にたった家』第4章「トラーは木にのぼらないということがわかるお話」より


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「おいでよ、トラー、やさしいよ」、『プー横丁にたった家』第4章


物語る術

シェパードは、書かれた物語を解釈し、生き生きとした画像に変える天才的な能力を持っていました。それが本の成功の鍵だったのです。またとない技法を備えた画工であり、鋭い観察者で、どんな細かなディテールにも気を配るシェパードは、ミルンと並んで、プーの生みの親でありました。


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「ながいあいだ、三人はだまって、下を流れてゆく川をながめていました」、『プー横丁にたった家』第6章


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「プーとコブタが、狩りに出て…」、『クマのプーさん』第3章


プー、本になる

クリストファー・ロビンのうた』(1924年)、『クマのプーさん』(1926年)、『クマのプーさんとぼく』(1927年)そして『プー横丁にたった家』(1928年)は、クリストファー・ロビン本として知られるようになりました。1928 年には、これらの本は、「児童文学におけるユニークな地位」を獲得していました。後に、安価なペーパーバックが出回るようになり、読者はますます広がっていきました。カラー版も出始めました。以後、絶版になったことはなく、世界の児童書の中でも、もっとも愛される本のひとつであり続けています。


世界中で愛されているクマ

ミルンの本の人気を見込んで、1930年に、アメリカの起業家スティーヴン・スレシンジャーは、プーとその仲間をもとに、商品開発に乗り出しました。1966年、ディズニーはプーの物語をアニメ化。プーは、世界中に知られる、大人気のキャラクターになったのです。
物語は50以上の言葉に訳され、ありとあらゆるものに――ティーセットから料理本まで――プーの図柄がついています。一目見ればプーとわかるシェパードの絵の力もあって、キャラクターたちは、皮肉めいたものからおセンチなものまで、様々な文脈のなかで言及されるようになりました。


世界で一番有名なクマ「プーさん」です。
会場に入るのに1時間半待ちました。子供から高齢な方まで様々な年齢層の方が観にこられておりその知名度はさすがです。自分はディズニーのプーさんしか認識しておらず、この展覧会でクマのプーさんの原点を知ることが出来たと思います。


クマのプーさんについて詳しく知りたい方は、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%9E%E3%81%AE%E3%83%97%E3%83%BC%E3%81%95%E3%82%93
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本年の更新は以上です。
現状なかなか美術館に行けてないものの更新はしていく予定です。
更新が月一程度だったり観てからかなりの時間差があるにも関わらず観に来て頂いた方には感謝です。
また2020年もよろしくお願いいたしますm(_ _)m


次回の更新は2020年1月中~下旬頃を予定しております。