♯192 不思議の国のアリス展
観 覧 日 : 2020年2月23日
会 場 : 静岡市美術館
H P : https://shizubi.jp/exhibition/future_200201.php
展示作品 : 不思議の国のアリス展
期 間 : 2020年2月1日 ~ 3月29日
料 金 : 1,300円 ・ 図録 2,420円
謎解きキット 1,500円
セクション(構成) : 3区画
1.始まりの話-アリス誕生
2.アリス物語-不思議の国への招待
3.アートの国-世界が愛する永遠のアリス
感想 :
ルイス・キャロル(1832-98)の著書『不思議の国のアリス』は、1865年に英国で初めて出版されてから今日までに170余りの言語に翻訳され、世界中で世代を超えて親しまれ続けている不朽の名作です。オックスフォード大学クライスト・チャーチの数学講師だったキャロルが、少女アリス・リデルと出会ったことから生まれたこの物語は、文学の世界にとどまらず、美術、映画、舞台、ファッションなど様々な分野の表現者たちの創作意欲を刺激してきました。
本展は、主人公アリスの奇想天外な冒険を描いた2つの物語―『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』を中心に、誕生から150年以上が経過しても決して色褪せることのない不思議な魅力に迫ろうというものです。稀少な初刊本や、その挿絵を手がけたジョン・テニエルの下絵素描といった貴重な資料を筆頭に、物語の原点からその後の多角的な展開の様相をご覧いただきます。アリスの世界観を独自の解釈で表現したサルヴァドール・ダリ、エリック・カール、山本容子、清川あさみなど、国内外で活躍する芸術家たちの共演も見どころです。日本初公開を含む約190点の作品により、みなさんを魅惑の世界へと誘います。
『不思議の国のアリス』は、初めて出版されてからすでに150年以上の月日が流れてもなお絶えることなく読み継がれている物語です。すでに170を超える言語に翻訳され、発行部数は1億部とも言われる世界的ベストセラーになっています。
本展は、この物語の誕生から今に至るまで、常に「アイドル」的な存在であり続けるアリスを展観することで、 この物語がなぜこんなにも人々を惹きつけてやまないのか、という疑問を共に探り出そうとするものです。
アリスの物語は、英国の児童文学を教訓主義の呪縛からはじめて解き放った児童書として、文学史上確固とした地位を築いていますが、児童文学作品としては、それこそ例外と言って良いほど、多種多様な批評研究の対象とされてきました。そして同時に、画家、イラストレーターをはじめ、さまざまなジャンルの芸術家の創作意欲をも刺激し続けています。
さあ、それでは『不思議の国のアリス』の「不思議な魅力」をご一緒に探しにゆきましょう。
1章 始まりの話 ― アリス誕生
日本初公開のテニエル自筆の挿絵下絵など、物語の誕生に中心的な役割を果たした人々に関連する資料をご紹介します。
世界中の多くの人に世代を超えて愛されている『不思議の国のアリス』の作者ルイス・キャロルは英国オックスフォード大学のクライスト・チャーチの数学講師でした。本名はチャールズ・ラトウィッジ・ドッドソンといいます。キャロルは幼いころより創作意欲に富み、数学者として書物を著す一方、詩や物語も書く青年でした。 その彼の人生を大きく変えたのが、学校に新しく赴任してきたリデル学寮長の娘、アリス・リデルに出会ったことでした。
1862 年のある夏の午後、アリスと二人の姉妹を連れてボートでの遠出に出かけたキャロルは、三姉妹からお話をするようせがまれます。そこで生まれた物語が『不思議の国のアリス』の原点となった『地下の国のアリス』 です。この話をとても気に入ったアリスが「今日のお話を本に書いて」とねだったので、キャロルは自筆の挿絵入りの本を完成させてアリスに贈ったのでした。すると、その話があまりにもおもしろかったので、周囲から出版を勧められることになったキャロルは、当時の人気画家ジョン・テニエルに、出版に向けて挿絵を依頼します。
その後、1865 年に『不思議の国のアリス』が出版されると、キャロルは一躍人気作家になります。そして、 この時のテニエルの挿絵が、後のアリス像を決定づけることになっていくのです。
2章 アリスの物語 ― 不思議の国への招待
『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』の物語を、世界で活躍する7人の画家がそれぞれ個性豊かに描いた作品で辿ります。
『不思議の国のアリス』は 12章からなる物語で42枚の挿絵を含んでいます。42という数はルイス・キャロルが好んで使う数でした。その後に書かれた『鏡の国のアリス』も、『不思議の国のアリス』と同じ12章からなっています。2つの物語は、アリスを助けたり、困らせたり、怒らせたりする魅力的な登場人物にあふれています。シロウサギやチェシャネコ、ハンプティ・ダンプティなど、すでによく知っているキャラクターもいることでしょう。
本章ではこの2つの物語が、現在活躍中の世界的に有名な7名のアーティストによって、色鮮やかに語られてゆきます。物語を読んだことがない人でも、知らず知らずのうちにアリスの世界に引き込まれ、これらの物語に心新たに出会うことができるでしょう。
3章 アートの国 ― 世界が愛する永遠のアリス
絵本『はらぺこあおむし』の作者エリック・カールの描き下ろし作品をはじめ、サルヴァドール・ダリや山本容子など、物語からインスピレーションを受けた芸術家たちの共演をお楽しみください。
『不思議の国のアリス』の世界観は、本にとどまらず、さまざまな分野でも広く愛されています。映画、アニメーション、舞台などにも、その姿を見ることができますし、多くのクリエーターたちが創作意欲を刺激されることで、美術や芸術にも昇華されています。では、この物語が出版から150年以上経った今もなお、ジャンルを 問わず色あせることもなく、こんなにも多くの人々を惹きつけてやまないのは、なぜなのでしょうか。
本章では、多種多様な「アリス」を一堂に集め、この物語の不思議な魅力に迫ってまいります。さまざまなア ーティストが独自に独特な「アリス」を創りだすことで、異なる世界観が次々に加味され、その魅力が一層奥深いものになってゆくさまを感じていただけることでしょう。
そして、「アリス」はこれからも時代と共に成長し続け、永遠に唯一無二の存在であり続けることでしょう。
全世界で550万人以上を動員する「リアル脱出ゲーム」とのコラボレーションイベントが実現!
特別な謎解きキットを持ち、アリスのように消えたシロウサギを追いかけ、あなたが飛び込んだ先は薄暗い書斎。次々と
現れる不思議な暗号、そして入れないほどの小さなドア。
あなたは謎を解き明かし、この「不思議の国」から脱出することができるだろうか?
専用キットを使って謎を解き明かし、不思議の国からの脱出を目指します。
不思議の国のアリスです。
個人的にとても好きです。今回の企画展ではさまざまな挿絵が見ることが出来てよかったです。
ただ今回は「リアル脱出ゲーム」がコラボで開催されておりやってみたのですが、まぁ得意ではないのがよく分かりました。
たまにはこういうのもいいなと感じつつ今後やるかどうかは不明です・・・
展覧会公式サイト:http://www.alice2019-20.jp/
不思議の国のアリスについて詳しく知りたい方は、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E6%80%9D%E8%AD%B0%E3%81%AE%E5%9B%BD%E3%81%AE%E3%82%A2%E3%83%AA%E3%82%B9
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転勤やコロナの影響によりなかなか美術館に行くことが出来ずストックがなくなってしまいました。
その為次回の更新は未定です・・・
なるべく早く再開できるように努めようと思います。
今後ともよろしくお願い致しますm(_ _)m
♯191 多彩な表現展―陶板で魅せるジャポニスムの時代―
観 覧 日 : 2020年2月1日
会 場 : 大塚国際美術館
H P : https://www.ohmi.co.jp/news/index.php?c=topics_view&pk=1572316016
展示作品 : 多彩な表現展―陶板で魅せるジャポニスムの時代―
期 間 : 2020年1月11日 ~ 3月29日
料 金 : 3,300円
総展示作品数 : 企画展18点 美術館全体 1074点
感想 :
大塚ホールディングスの子会社である大塚オーミ陶業株式会社(本社:大阪市中央区、代表取締役社長:大杉栄嗣)は、2020年1月11日より大塚国際美術館(徳島県鳴門市)にて企画展「多彩な表現展」―陶板で魅せるジャポニスムの時代―を開催します。
日本特有の自然環境や文化、歴史、精神性を強く映し出す浮世絵と、大塚国際美術館館内に常設展示されている西洋名画の複製陶板を比較展示することで、浮世絵と西洋名画とのつながりについて新たな発見や共感を生み出し、理解を深める機会を提供する企画展です。
葛飾北斎の「富嶽三十六景」の中でもとりわけ評価の高い「神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)」をはじめとする三点の浮世絵や、菱川師宣の肉筆画「見返り美人図」など、西洋名画(主に印象派)に影響をあたえた浮世絵や日本美術作品を新たに陶板で原寸大複製し、館内に展示しました。
19世紀中頃、ヨーロッパ全土で日本趣味=ジャポニスム(Japonism)が大流行し、多くの作家たちが魅了されました。
この企画展では、ジャポニスムに関連した浮世絵や日本美術作品を新たに陶板で原寸大に再現し、大塚国際美術館館内に常設展示されている陶板名画と比較したり、間近でじっくりと鑑賞することで、新しい発見や共感を生み出し、理解を深める機会を提供します。
陶板による貴重な美術作品の複製は、間近での鑑賞や手で触れるなど、身近に体感することが可能となり、より深く記憶に刻み込み、芸術への親近感を高めます。
陶板ならではの体験を生み出す企画で、ジャポニスムの時代を堪能しました。
個人的に大塚国際美術館は大好きです。
ここは地下3階~地上2階まであり、鑑賞ルートは約4kmと1日楽しめます。
すべて陶板画ですが、製作にあたってはオリジナル作品と同じ大きさに複製されており、システィーナ礼拝堂天井画および壁画などはすごい迫力です。このほかにも様々な名作が展示されており展示作品数は1000を超えており見ごたえはとてもあります。
なお写真撮影も出来ます、ぜひぜひ一度は観に行くことをオススメします。
ちなみに個別で陶板画の発注もできますが金額が・・・
【多彩な表現展での展示作品】 ※すべて陶板による原寸大複製
■葛飾北斎 「富嶽三十六景」より
「神奈川沖浪裏」
「凱風快晴」
「山下白雨」
■歌川広重 「名所江戸百景」より
「大はしあたけの夕立」
「亀戸梅屋舗」
「亀戸天神境内」
■二代 歌川国明
「大鳴門灘右エ門」
■歌川国貞(三代豊国)・歌川広重
「当盛十花撰 夏菊」
■ゴッホ、フィンセント・ファン
「ジャポネズリー:おいらん」
「ジャポネズリー:雨の橋」
「ジャポネズリー:梅の開花」
「タンギー爺さん」
大塚国際美術館について詳しく知りたい方は、
ja.wikipedia.org
をクリックして下さい。(ウィキペディア)
次回の更新は7月中旬頃を予定しております。
♯190 ムーミン展
観 覧 日 : 2019年4月9日
会 場 : 森アーツセンターギャラリー
H P : https://macg.roppongihills.com/jp/exhibitions/moomin/index.html
展示作品 : ムーミン展
期 間 : 2019年4月9日 ~ 6月16日
料 金 : 1,800円 ・ 図録 2,376円
総展示作品数 : 約500点
セクション(構成) : 4区画
1.世界でただひとつの「ムーミン美術館」からやってくる!
2.ムーミンの小説、絵本から様々なシーンを原画やスケッチで紹介
4.日本とフィンランドの記念コーナーも
感想 :
愛らしい姿とユーモアあふれる言葉で世界中のファンを魅了するムーミンとそのなかまたち。
フィンランドを代表する芸術家、トーべ・ヤンソン(1914年~2001年)が生みだした「ムーミン」シリーズは、小説、絵本、新聞連載コミック、アニメ、商品などさまざまなかたちで親しまれています。本展では、その多彩なアートと奥深い物語の魅力を、約500点の展示品で紹介します。
ムーミンの小説、絵本の挿絵や表紙を原画やスケッチで紹介。また、イースターカード、アドベントカレンダーの原画、銀行の広告など、小説や絵本では見たことがないムーミンとそのなかまたちの多彩な表情にも出会うことができます。
世界で唯一の「ムーミン美術館」と、作者であるトーベ・ヤンソンのコレクションからよりすぐりの作品を紹介していました。
1.世界でただひとつの「ムーミン美術館」からやってくる!
フィンランド・タンペレ市にある「ムーミン美術館」は、 2017年に装いをあらたにリニューアルオープンしました。
世界で唯一のムーミンの美術館では、 約2000点もの作品を所蔵しています。
本展では、同美術館からムーミン小説の原画やスケッチのほか、トーベがムーミン小説を手がける前に描いていた スウェーデン語系の政治風刺雑誌「GARM」の挿絵など、よりすぐりの作品が展示されていしまた。
2.ムーミンの小説、絵本から様々なシーンを原画やスケッチで紹介
ムーミンの小説は「小さなトロールと大きな洪水」「ムーミン谷の彗星」 「たのしいムーミン一家」「ムーミンパパの思い出」「ムーミン谷の夏まつり」 「ムーミン谷の冬」「ムーミン谷の仲間たち」「ムーミンパパ海へいく」 「ムーミン谷の十一月」と9つ出版されています。
本展では、9つ全ての小説と絵本「ムーミン谷へのふしぎな旅」の原画やスケッチが展示されていました。
3.ムーミンキャラクター社所蔵の貴重なコレクションも展示
“まぼろしのムーミン人形”ともいわれる アトリエ・ファウニのムーミンフィギュアやイースターカード、アドベントカレンダーの原画、銀行や新聞の広告なども!
トーベ・ヤンソンが最後まで手元に残しておいた作品を含む ムーミンキャラクターズ社保有の貴重なコレクションも並びます。
小説や絵本では見たことがないムーミンとそのなかまたちの多彩な表情にも出会うことができました。
4.日本とフィンランドの記念コーナーも
2019年はフィンランドと日本の外交関係樹立100周年。
トーベは来日も果たしています。トーベが愛した日本を、写真資料やスケッチで紹介するほか、 浮世絵とムーミンを並べて展示します。
公式サイト:https://moomin-art.jp/
ムーミンです。
個人的にはニョロニョロとスナフキンが好きです。
今回の企画展は原画やフィギュアや人形など様々な貴重な作品が展示されており、とても楽しく観れました。
いつか埼玉にある「ムーミンバレーパーク」にも一度行ってみたいなと思います。
トーベ・ヤンソンについて詳しく知りたい方は、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%BB%E3%83%A4%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%B3
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次回の更新は6月中旬頃を予定しております。
♯189 ラフ∞絵展
観 覧 日 : 2019年4月13日
会 場 : 3331 Arts Chiyoda
H P : https://www.3331.jp/schedule/004727.html
展示作品 : ラフ∞絵
期 間 : 2019年4月2日 ~ 4月16日
料 金 : 2,000円 ・ 図録 3,240円
総展示作品数 : 1400点以上
セクション(構成) :6区画
・タツノコプロ アンド NUNOANI塾
・天野 喜孝
・大河原 邦男
・秋元 治
・チェンジ アンド チャレンジ
・高田 明美
感想 :
優れた絵はいかにして生まれるのか?
その謎は絵を生みだす制作過程で見ることでわかるかもしれない。しかし通常の作品は完成して初めて世の中に現れる。そんな機会はほとんど存在しない。その常識を打ち破った展覧会「ラフ∞絵」が4月2日より16日まで、東京・秋葉原地区の3331 Arts Chiyodaで開催されました。完成に至るラフな絵を完成した作品と共に展示するものです。しかも参加するアーティストは秋本治、天野喜孝、大河原邦男、高田明美の4人。いずれも個性やスタイルは違えども各分野で活躍する第一人者である。ひとりひとりだけでも大変なのに、これでだけ揃うともはや事件である。
企画展が実現したのには仕掛け人がいる。アニメスタジオ・ぴえろ創業者、プロデューサーとして日本を代表する数々のヒット作を生み出した実行委員長の布川ゆうじである。5人で集まった際に描いてもらった線画の美しさを見て、これを世に紹介したと思いつき、すぐに動きだしたという。そんな布川の情熱から生まれた「ラフ∞絵」はとにかく見どころがたっぷりだ。というよりも、どこから楽しんでいいか迷うぐらいである。
秋本治さん、天野喜孝さん、大河原邦男さん、高田明美さん。「こちら葛飾区亀有公園前派出所」「ファイナルファンタジーシリーズ」「機動戦士ガンダム」「魔法の天使 クリィミーマミ」など、国内はもとより、世界でもファンが多い数々の漫画、アニメ、キャラクターデザインを生み出してきた4人のアーティストたち。そして、彼らの活動の"はじまり"となった交差点、タツノコプロで出会った"演出"の布川ゆうじが本展のプロデューサーを務めます。
この展覧会では、4人のアーティストの作品になる前のラフ絵とともに、作品が生み出されるその瞬間に迫ります。ネームとは、マンガを描く際のコマ割り、コマごとの構図、セリフやキャラクターの配置などを表したもので、マンガ制作のおける設計図のようなものです。アニメでは絵コンテといい、作者や作品によって、できあがりかたは様々ですが、作品の伊吹を感じられます。展覧会では4人の作家の代表作を中心に、約1400点以上のラフ絵と完成原画を紹介します。
一番はもちろん、展覧会のタイトルともなったラフ絵の魅力。展覧会の開会式に参加した4人は、恥ずかしいところもあるけれどと、それでも完成前の絵を快く展示しました。
一方で今回のために制作中であった作品を完成させた天野、アニメーター時代の動画を展示した秋本、「これなら自分だけ」と造型にこだわった大河原、『うる星やつら』や『オレンジロード』など懐かしい絵の版権イラストのラフを集めた高田とそれぞれがこだわりを見せます。
4人の作品はそれぞれが独立したスペースを設けて、独自の世界を創り出す。ただこれを放っておけば、全てが個性的なだけにバラバラな方向に引っ張られた散漫な企画になってしまう。
それを見事につなぎとめたのが、今回の展覧会のための企画「チェンジ・アンド・チャレンジ」だ。 4人のアーティストがそれぞれ、「描いてみたかった」と語る他のアーティストの代表作品を描きます。例えば、大河原邦男さんデザインの「装甲騎兵ボトムズ」を秋本治さんが描く、天野喜孝さんが高田明美さんデザインの「魔法の天使 クリィミーマミ」を描く......。秋本さんの描く『機動戦士ガンダム』、天野さんによる『こちら葛飾区亀有公演前派出所』、大河原さんの『クリィミーマミ』、高田さんの『吸血鬼ハンターD』などなど、それぞれが他の人の代表作を描きました。
開会式では、高田さんや大河原さんは「ファンから怒られるんじゃないか」と気をつけたと話します。プレッシャーは相当だったはず。しかし意表を突いたアレンジからは楽しさばかりが感じられます。これらが4人を互いに結びつけ、華やかな才能の共演を演出していました。
もうひとつ4人の重要な共通点がある。実は4人はいずれもが老舗のアニメスタジオのタツノコプロ出身だ。同じ時代に同じ場所で働いていた。今回の企画を推進した布川ゆうじも、ぴえろを立ち上げる前はタツノコプロで働いていた。同窓会的な結束を感じさせる。
時としてある時代、ある場所に、傑出した才能が集まることがある。1970年代のタツノコプロもそうした場所だったのだろう。
そして最後にもうひとつ、忘れていけないコーナーがある。「NUNOANI塾」の活動紹介だ。6年前に次世代のクリエイターを育てたいと布川がスタートした演出とプロデューサー養成の私塾である。
その立上げは、多くの才能の共に仕事をし、時には見出してきた布川だけに、作品を生みだすクリエイターの大切を人一倍感じていたためかもしれない。NUNOANI塾からは、業界内のステップアップ、キャリアチェンジも含めて現場で活躍する者もすでに現れている。
NUNOANI塾を紹介することで、今回の展覧会が単なる回顧展でないことが分かる。優れた才能を紹介することで、未来の方向を示すものなのだ。アニメーターでもイラストレーターでも、デザイナーでもそのジャンルは問わない。絵を描くことを目指す人には是非足を向けて欲しい展覧会でした。
秋元治
東京都葛飾区亀有生まれ。漫画家。中学校に入り、母親に買ってもらった石森章太郎の『マンガ家入門』を擦り切れるまで読み、ペンの種類や描き方などを知る。高校卒業後、アニメーターを志しアニメ制作会社「竜の子プロダクション」に入社。2年間動画などを務めた後、退職。1976年『こちら葛飾区亀有公園前派出所』(以下こち亀)を新人賞に応募する。月例ヤングジャンプ賞入選作品に選ばれ同年連載開始。「週刊少年ジャンプ」にて1976年42号から2016年42号まで一度の休載もなく40年間連載された。この記録は「週刊少年ジャンプ」歴代連載作品の中で最長の連載記録であり、「少年誌の最長連載記録」となっている。また、コミックスの発行巻数が多い単一マンガシリーズでギネス世界記録を保持。実写映画化、アニメ化、ドラマ化、アニメ映画化、舞台化、ゲーム化といったメディア展開だけでなく作品の舞台となった亀有では『こち亀』銅像が建てられ、老若男女問わず愛される作品作りが評価されている。また、『こち亀』連載中に多数の作品を発表しており『Mr.Clice』(ミスター・クリス)もまた、40年間続いている人気作である。『こち亀』終了後には4誌で新連載をスタートするなど意欲的に活動を行っている。
天野喜孝
静岡県静岡市生まれ。1967年アニメ制作会社「竜の子プロダクション」に入社。『科学忍者隊ガッチャマン』『タイムボカンシリーズ ヤッターマン』など数々のヒット作のキャラクターデザインを手掛ける。1981年、ハヤカワ「S-Fマガジン」誌に『トワイライト・ワールズ』を発表し出版界デビューを果たす。独創性に溢れた作品世界はSF・ファンタジー界に衝撃を与えた。1983年に発表された『吸血鬼ハンターD』のイラストレーション、1987年ゲームソフト『FINAL FANTASY』のイメージイラストで若い世代の圧倒的支持を獲得しその支持は国内だけでは収まらず世界的な支持を得ることとなる。イラストレーションのみの評価に収まらず1992年『楊貴妃』の舞台美術、1994年には『海神別荘』の舞台美術、衣装デザインを担当した。2007年には夏目漱石の小説『夢十夜』を原作とするオムニバス作品『ユメ十夜』で第7夜の監督を担当した。海外での個展も多く1997年にはニューヨークをはじめ、ロンドン、パリ、南仏などで個展を開催。最新の個展は2018年10月ニューヨークで行っている。1983年~1986年第14~17回星雲賞、2000年アイズナー賞:"THE SANDMAN:The Dream Hunters"、2000年ドラゴン・コン賞、ジュリー賞、2007年第38回星雲賞、2018年インクポット賞。
大河原邦男
東京都稲城市生まれ。 東京造形大学を卒業後に、アパレルメーカーを経て、1972年アニメ制作会社「竜の子プロダクション」に入社。当時の専務から、美大を出ているのだから美術課で働いてみたらどうだろうと勧められたのが決め手となりアニメの背景や小物の設定を行い、アニメの世界観を作る役割の美術を選び1972年『科学忍者隊ガッチャマン』のメカデザイナーとしてデビュー。『破裏拳ポリマー』『宇宙の騎士テッカマン』『ゴワッパー5ゴーダム』などを担当後、退社。1976年、中村光毅とともに「デザインオフィス・メカマン」を設立。以降現在までフリー。『無敵鋼人ダイターン3』からサンライズ作品を手掛けるようになり、1979年『機動戦士ガンダム』のメカデザインで多大な評価を得る。それまでは美術の一貫だったメカニックデザインを新たな職種「メカニックデザイナー」として業界内に確立した。近年ではアニメーションの仕事の他、東京都稲城市のマスコットキャラクター「稲城なしのすけ」や未来型の超小型モビリティー「machina(マキナ)」のデザイン、海外からのフィギュアデザインのオファーを受けるなど、国内外で精力的に活動中。
高田明美
東京都小金井市生まれ。 多摩美術大学でグラフィックデザインを専攻し、卒業後、アニメ制作会社「竜の子プロダクション」に入社。『科学忍者隊ガッチャマンII』『科学忍者隊ガッチャマンF』キャラクターデザインとして参加。職業としてのキャラクターデザインを学んだ後、1981年よりフリーとなる。フリーになってからはアニメ制作会社「スタジオぴえろ」作品に数多く参加しており『うる星やつら』『魔法の天使クリィミーマミ』『きまぐれオレンジ☆ロード』『魔法のステージファンシーララ』などがある。『魔法の天使クリィミーマミ』は魔法少女ブームの火付け役となりアニメ業界に多大なる影響を与えた。1988年創刊された「PC Engine FAN」では表紙を担当し、1996年10月号の休刊まで担当することとなった。同1988年ゆうきまさみ、出渕裕、伊藤和典、押井守と共に結成した「ヘッドギア」から『機動警察パトレイバー』を発表。キャラクターデザイン、小説のイラストレーションを担当し今も多くのファンに支持されている。2003年よりジュエリー制作に目覚めたことで、2007年春に自身のブランド「ANGEL MYTHOS」を立ち上げ、現在も多忙な仕事の合間にコツコツと制作している。日本、アメリカ、香港、台湾などで原画展、個展、グループ展を定期的に数多く開催し国内外にファンが多い。 2020年以降『PATLABOR EZY』を始め、多数の新作アニメの発表が待たれている。
布川ゆうじ
山形県酒田市生まれ。 日本デザインスクール卒業後、1967年アニメ制作会社「朋映プロ」入社。アニメーターとして『宇宙少年ソラン』『冒険ガボテン島』などに加わる。その後、「虫プロダクション」「ネズプロ」「スタジオじゃっく」などのスタジオを経験。「和光プロダクション」で『カバトット』を担当し演出家としてデビュー。タツノコプロの監督である笹川ひろしに見込まれて1971年「竜の子プロダクション」に移籍入社。『いなかっぺ大将』『新造人間キャシャーン』『タイムボカン』『タイムボカンシリーズ ヤッターマン』などの作品を担当する傍ら押井守ら若手演出家を指導して面倒を見た。1978年上梨満雄やときたひろこら4名で演出家グループ「スタジオぴえろ」を発足し『みつばちマーヤ』を手がけ、1979年『ニルスのふしぎな旅』を制作するために『株式会社スタジオぴえろ』を設立。以降『うる星やつら』『魔法の天使クリィミーマミ』『きまぐれオレンジ☆ロード』『NARUTO』『BLEACH』『おそ松さん』日本初のOVA『ダロス』など、多数の作品を手がける。2002年日本動画協会の設立に携わり、2009年から2014年まで理事長を務めた。2013年からは映像制作の演出技術とプロデューサー力を育成する、NUNOANI塾を設立し、塾長を務めている。
今回は転勤で観にいけるか分からない状況の中計画し無理やり観てきました。
観に行けて本当によかったと感じ、あれから1年も経ってしまいました。
なんとか時間を作りこの企画展に行ったところ、ちょうど秋元先生が作品の解説をしていました。
それこそ目の前1メートルもない距離で作品(主にこち亀ですが)についてのエピソードのお話を聞く事ができてとても運が良かったと思います。ラフ画はなかなかみることは出来ないのでとても貴重な作品を観ることが出来たと嬉しく思いました。
コロナで美術館も閉まっていますが、また観に行けることを願いつつ・・・。
タツノコプロについて詳しく知りたい方は、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%83%84%E3%83%8E%E3%82%B3%E3%83%97%E3%83%AD
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次回の更新は5月中旬頃を予定しております。
♯188 ラファエル前派の軌跡展
観 覧 日 : 2019年4月13日
会 場 : 三菱一号館美術館
H P : https://mimt.jp/exhibition/
展示作品 : ラファエル前派の軌跡展
期 間 : 2019年3月14日 ~ 5月19日
料 金 : 1,700円 ・ 図録 2,300円
総展示作品数 : 147点 (内説明あり)48点
セクション(構成) :5区画
第2章 ラファエル前派
第3章 ラファエル前派周縁
第4章 バーン=ジョーンズ
第5章 ウイリアム・モリスと装飾芸術
感想 :
1848年、ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティらが結成したラファエル前派兄弟団は、英国美術の全面的な刷新をめざして、世の中にすさまじい衝撃をもたらしました。この前衛芸術家たちの作品は、観る者の心に訴えかけ、広く共感を呼びました。人々は、社会の基盤が移りゆくなかで、彼らの芸術に大きな意義を見出したのです。
その精神的な指導者であるジョン・ラスキンは、あらゆる人にかかわる芸術の必要性を説く一方で、彼らとエドワード・バーン=ジョーンズやウィリアム・モリスら、そして偉大な風景画家J.M.Wターナーとを関連づけて考察しました。
今回の企画展では、英米の美術館に所蔵される油彩画や水彩画、素描、ステンドグラス、タペストリ、家具など約150点を通じて、彼らの功績をたどり、この時代のゆたかな成果を展覧しました。
1.ヴィクトリア朝の英国を代表する芸術が一堂に
ターナー、ロゼッティ、バーン=ジョーンズ、モリス
ラスキンの生誕200年を記念する本展には、かれが見いだし、当時のアート・シーンの中心へと引き上げた、前衛芸術家の作品がつどいます。 ターナー《カレの砂浜―引き潮時の餌採り》、ロセッティ《ウェヌス・ウェルティコルディア(魔性のヴィーナス)》、バーン=ジョーンズ《赦しの樹》などの傑作が、海を越えて一堂に会します。
2.すべての人を芸術に近づけた、ラスキンのまなざし
ターナーの先駆的な表現に正当な評価を与え、いち早く前衛のラファエル前派同盟を擁護したラスキン。 かれの力強い言葉は、温かく、親しみに満ちていて、人々の心を捉えました。 とりわけ、その近代社会批判は、モリスらを手工芸の復興へと駆り立て、アーツ・アンド・クラフツ運動につながってゆきます。 ラスキンの眼を通して、19世紀の英国美術を概観します。
3.芽生え-ラスキンのまいた種
ラスキンは、美術界の中心となる人物のみに目を注いだわけではありません。その思想は、さまざまな周縁の芸術家にも浸透して、豊かな実りをもたらしました。 本展では、ラスキンが指し示した道から、新たな試みが芽生え、発展してゆくさまを、多彩な秀作によって跡づけます。
第1章 ターナーとラスキン
ジョン・ラスキン(1819‐1900)が初めて J. M. W. ターナー(1775‐1851)に価値を見出したのは、1840年のこと。 自ら作品を買い求め、コレクションを形成する一方で、1843年、24歳の青年ラスキンは、この画家を擁護するために、広範な主題を扱った権威ある著作集『現代画家論(Modern Painters)』の第一巻を発表して、一躍著名になります。 当時のターナーは、存命する最も優れた英国人風景画家として広く認知される一方で、数年前から、理性による制御を取り払ったかのような荒々しい描き方を実践しており、その新しい独自の表現が強く非難されていました。 ラスキンは、この画家の作品を綿密に調査し、とりわけ版画集『研鑽の書(Liber Studiorum)』に収録された作品群と水彩画の研究に力を注ぎます。
自身も素描を日常的にたしなみ、描くという行為を通じて物質世界のあらゆる側面への洞察を深めたラスキンは、素描を手がけることで、関心の的となる事物すべての本質をより徹底的に見きわめられると考えたのです。
第2章 ラファエル前派
1848年秋に前衛芸術家集団「ラファエル前派同盟(Pre-Raphaelite Brotherhood)」を結成した7名の画学生らのうち、その中心となったダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(1828‐1882)、ウィリアム・ホルマン・ハント(1827‐1910)、ジョン・エヴァレット・ミレイ(1829‐1896)は、英国美術史にきわめて大きな功績を残しました。 かれらは、ラファエロ以降の絵画表現を理想とする芸術家養成機関ロイヤル・アカデミーの保守性こそが、英国の画家を型通りの様式に縛りつけ、真実味のある人間感情の表現から遠ざけてきた、と主張します。 こうしてラファエロ以前に回帰する必要性を訴えて「ラファエル前派」と自ら名のったこの若手芸術家たちは、ありふれた感傷的な描き方から絵画を解放し、中世美術のように分かりやすく誠実な表現を取り戻そうとしました。 当初は悪意のある批評にさらされた彼らの試みを、ラスキンは高く評価し、1851年には日刊高級紙『タイムズ』に公開書簡を発表して、力強く擁護論を展開します。 ミレイやロセッティらとの親交が始まるのは、このあとのことです。
第3章 ラファエル前派周縁
ラファエル前派同盟が提唱した緻密な自然観察、そして主題の誠実な描写という大原則は、結成からわずか数年後の1850年代初頭には、人々に広く受け入れられていました。 やがて、年長のウィリアム・ダイスやフォード・マドックス・ブラウンらが、広い意味での「ラファエル前派主義(Pre-Raphaelitism)」を体現する代表的な存在とみなされるようになります。 これと並行して、ラスキンは著述活動を通じて、英国画壇に大きな影響を及ぼしました。 たとえば、1857年発表の素描論では、細心な注意を払って対象の細部までを描きこむことの重要性を説き、その年若い信奉者のなかから、ラファエル前派の風景画家が登場します。 他方で、彼らの周辺には、古代ギリシア・ローマ美術の再評価を推し進めたフレデリック・レイトンやジョージ・フレデリック・ワッツのような先進的な芸術家がいました。 1860年代に入るとラファエル前派主義は、欧州大陸の影響下から生まれた「芸術のための芸術」という信条を掲げる運動―絵画は物語の描写よりも形式が本来もつ純粋で感性的な価値によって評価されるべき、とする唯美主義運動―に溶け込んでゆきます。
第4章 バーン=ジョーンズ
オックスフォード大学で聖職を志していたエドワード・バーン=ジョーンズ(1833‐1898)は、ラファエル前派同盟の作品に感銘を受け、ラスキンの芸術論や建築論に心酔するあまり、1855年には大学を去って、芸術の道へと進みます。 ロセッティに弟子入りをし、その二年後には、師や親友ウィリアム・モリス(1834‐1896)らとともに、新築のオックスフォード大学学生会館の討論室にトマス・マロリー著『アーサー王の死』を主題とする壁画を描きました。 同じころ知り合い、精神的指導者(メンター)と慕うようになったラスキンからは、イタリアへと赴き、巨匠画家の作品から学び、素描に励むように、との助言を受けます。 1860年代のバーン=ジョーンズは、新たな様式を他に先駆けて追求する存在でした。 彼の絵画は、その大半が神話や文学的な主題にもとづく一方で、明確な物語性を欠く作品もあり、次第に、形式の完成度に重きをおくようになります。 そのいずれもが一貫して、同時代の世俗的な現実からは遠く隔たっていました。 1877年に最先端の美術を紹介するグロヴナー・ギャラリーが開かれると、バーン=ジョーンズは、19世紀末の英国で最も広く称賛される画家となります。
第5章 ウイリアム・モリスと装飾芸術
ウィリアム・モリスとバーン=ジョーンズは、1853年にオックスフォード大学で出会いました。それ以来、生涯の友となった彼らは、多くの作品を共同で手がけます。 バーン=ジョーンズと同じように、聖職に就くことをあきらめて画家・デザイナーとなる道を選んだモリスは、1857年に、若手芸術家としてオックスフォード大学学生会館討論室の壁画制作に参加しました。 そして翌1858年には初の詩集『グウィネヴィアの弁明(The Defence of Guinevere)』を、さらに1868年から1870年にかけては長大な物語詩『地上の楽園(The Earthly Paradise)』を発表。 この物語詩の挿絵は、バーン=ジョーンズが描く約束でした。 詩人としての評価を確立する一方で、1861年には家具、ステンドグラス、陶製タイル、壁紙、捺染布地や織物など、あらゆる種類の装飾芸術を扱う「モリス・マーシャル・フォークナー商会」を設立します(1875年に単独経営の「モリス商会」に改組)。 作品の下絵はすべて、仲間の芸術家らが手がけました。 また、美しいデザインの書物を世に送り出すために、 1891年に私家版印刷工房「ケルムスコット・プレス」を開設。 晩年には、社会主義者の一人として、政治改革運動に全力を注ぎました。
ラファエル前派について詳しく知りたい方は、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A8%E3%83%AB%E5%89%8D%E6%B4%BE
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個人的にはやっぱりバーン=ジョーンズが好きですね。
今までにも幾度か作品を観ましたが、あの独特な作風はとても好きです。また機会があれば観に行きたいと思います。
次回の更新は4月中~下旬頃を予定しております。
♯187 ギュスターヴ・モロー展 ― サロメと宿命の女たち ―
観 覧 日 : 2019年4月13日
H P : https://panasonic.co.jp/ls/museum/exhibition/19/190406/
展示作品 : ギュスターヴ・モロー展 ― サロメと宿命の女たち ―
期 間 : 2019年4月6日 ~ 6月23日
料 金 : 1,000円 ・ 図録 2,400円
総展示作品数 : 69点 (内説明あり)43点
セクション(構成) : 4区画
第1章 モローが愛した女たち
第2章 ≪出現≫とサロメ
第3章 宿命の女たち
第4章 ≪一角獣≫と純潔の乙女
感想 :
モローが描いた女性、一堂に会する
象徴主義の巨匠ギュスターヴ・モロー(1826‐1898)は、神話や聖書をテーマにした作品で知られています。産業の発展とともに、現実主義的、物質主義的な潮流にあった19世紀後半のフランスにおいて彼は、幻想的な内面世界を描くことで、真実を見いだそうとしました。本展は、そのようなモローが描いた女性像に焦点をあてた展覧会です。出品作品は、パリのギュスターヴ・モロー美術館が所蔵する、洗礼者ヨハネの首の幻影を見るサロメを描いた名作《出現》や、貞節の象徴とされた幻獣を描いた《一角獣》を含む油彩・水彩・素描など約70点によって構成されます。神話や聖書に登場する、男性を死へと導くファム・ファタル(宿命の女)としての女性、誘惑され破滅へと導かれる危うい存在としての女性、そしてモローが実生活において愛した母や恋人。展覧会では、彼女たちそれぞれの物語やモローとの関係を紐解いていき、新たな切り口でモロー芸術の創造の原点に迫ります。
14年ぶりにギュスターヴ・モロー美術館から名作の数々を一挙公開!
パリのギュスターヴ・モロー美術館の全面協力を頂き、《出現》(1876年頃)、《エウロペの誘拐》(1868年)、《一角獣》(1885年頃)などを含む数多くの名作が一堂に会します。
初来日作品を含む、母や恋人との交流を伝える素描や手紙を展示!
実生活で身近な存在だった母ポーリーヌと恋人アレクサンドリーヌ・デュルーとの交流を伝える素描や手紙から、人間モローの素顔に迫ります。
モロー芸術を女性をテーマに紹介!
最愛の女性から、歴史や文学を彩るファム・ファタル(宿命の女)まで、女性像にフォーカスした展示により、華麗かつ深遠なモロー芸術の根幹にふれます。
第1章 モローが愛した女たち
モローにとって「世界で一番大切な存在」であったという母ポーリーヌや、結婚はせずとも30年近くもモローに寄り添い続けた恋人アレクサンドリーヌ・デュルー。本章では、モローが実生活においてどのように女性たちと関係性を築いていたかに注目します。それらの女性たちを描いた愛情と親密さ漂う作品や、彼女たちにゆかりのある作品、資料などを通して、画家ギュスターヴ・モローの素顔の一端を探ります。
第2章 《出現》とサロメ
洗礼者ヨハネの首の幻影が現れるという稀有な発想、さまざまな時代や地域の建築・装飾様式を独自に取り入れた描写、膨大な習作やヴァリアントを伴う作画プロセスなど、多様な特徴と魅力をそなえたモローの代表作《出現》は、19世紀末の芸術家たちに多大なインスピレーションを与えました。本章では、《出現》を核としながら、モローが描いた「サロメ」のさまざまな側面をとりあげ、この主題に魅せられたモローならではのイメージ生成の背景をたどります。
第3章 宿命の女たち
モローは、男性を誘惑し、翻弄し、命すら奪うファム・ファタルとしての女性を数多く描く一方で、男性からの誘惑の標的となり、数奇な運命をたどった女性もしばしば主題としています。そうした作品においても同様に、彼女たちの妖しく艶やかな姿態は見るものを幻惑せずにおきません。本章では、七宝細工のような輝く色彩と、想像力をかきたてるドラマティックなイメージのうちに、女性のもつ複雑で多面的な性質を浮き彫りにするモローの思考と感覚に迫ります。
第4章 《一角獣》と純潔の乙女
貞節の象徴とされ、純潔の乙女にだけは従順になるという幻の動物一角獣を、モローは美しくたおやかな女性に抱かれた姿で描きました。汚れなき女性のイメージは憧れの具現化であるとともに、その冒しがたい清らかさゆえに男性を惑わせ狂わせるものでもありました。本章では、そうした女性像にひそむ抗いがたく残酷なまでの魅力を通じて、モローにとってのファム・ファタルのイメージ形成をあらためて問います。
ギュスターヴ・モローの作品は他の企画展でちょこちょこ観ていましたが、単体のみの企画展には行った事が無かったような気がします。個人的に独特な感性で描かれた作品はとても好きで観に行けて良かったです。
ギュスターヴ・モローについて詳しく知りたい方は、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AE%E3%83%A5%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%AD%E3%83%BC
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次回の更新は3月中~下旬頃を予定しております。187
♯186 新・北斎展
観 覧 日 : 2019年3月21日
会 場 : 森アーツセンターギャラリー
H P : https://macg.roppongihills.com/jp/exhibitions/hokusai/
展示作品 : 新・北斎展
期 間 : 2019年1月17日 ~ 3月24日
料 金 : 1,600円 ・ 図録 2,800円
総展示作品数 : 前後期全479点
セクション(構成) : 6区画
第1章:春朗期-デビュー期の多彩な作品
第2章:宗理期-宗理様式の展開
第3章:葛飾北斎期-読本挿絵への傾注
第4章:載斗期-『北斎漫画』の誕生
第5章:為一期-北斎を象徴する時代
第6章:画狂老人卍期-さらなる画技への希求
感想 :
葛飾北斎(1760~1849)は世界で最も知られた日本の芸術家の一人です。
江戸時代後期に浮世絵師として登場してから90歳で没するまでの約70年に及んだ北斎の画業は、常に新たな絵画の創造への挑戦の連続でした。度重なる画号の改名は有名ですが、画風もまた大胆に変え続けました。つまりは自らをUPDATEし続けた人生に他なりませんでした。
この企画展では、「冨嶽三十六景」や『北斎漫画』などの有名作だけに焦点を当てるのではなく、日本初公開となる貴重な作品を含めた北斎の全生涯にわたる画業を展観します。国内外に所蔵される北斎の名品・優品はもちろん、近年更新された主な研究成果を参照しつつ、発見・再発見されてきた作品を一堂に公開していました。
北斎の代表作としては、“Great Wave”と称されて世界的に名高い「神奈川沖浪裏」を含む「冨嶽三十六景」シリーズ、19世紀のヨーロッパにおけるジャポニスムの流行の契機となった『北斎漫画』などが一般的に知られていますが、これらは約70年に及ぶ北斎の画業のほんの一端にすぎません。
この企画展では北斎の絵師人生を作風の変遷と主に用いた画号によって6期に分けて紹介します。
勝川派の絵師として活動した春朗期(20〜35歳頃)、勝川派を離れて肉筆画や狂歌絵本の挿絵といった新たな分野に意欲的に取り組んだ宗理期(36〜46歳頃)、読本の挿絵に傾注した葛飾北斎期(46〜50歳頃)、多彩な絵手本を手掛けた戴斗期(51〜60歳頃)、錦絵の揃物を多く制作した為一期(61〜74歳頃)、自由な発想と表現による肉筆画に専念した画狂老人卍期(75〜90歳頃)と、その壮大な画業を通覧。国内外の名品、近年発見された作品、初公開作品を通じて、真の北斎に迫ります。
20歳のデビュー作から90歳の絶筆まで、本展に出品される作品数は約480件(会期中展示替えあり)。十数年ぶりに東京で開催される、大規模かつ網羅的な北斎展となります。国内外から集められた名品・貴重品によって、北斎の全貌を知ることのできる待望の機会でした。
多数の初公開作品を揃えていることも本展の特徴です。アメリカ・シンシナティ美術館が所蔵する「向日葵図」(肉筆画)は、北斎が88歳の時に描いたものですが、その凛とした姿には、衰えを知らない北斎のエネルギーがみなぎっています。また同館の「かな手本忠臣蔵」(小判、10枚)は近年発見された貴重なものです。旧津和野藩主家が所蔵していた摺物(非売品の特製版画)、大小暦も必見。118点を4期にわけて全点を公開しますが、いずれも長らく秘蔵されていたため、衝撃的なほどに美しい色彩をとどめています。
本展監修者・永田生慈氏は北斎研究のために作品の収集も行いました。作品数は2000件を超えます。それらは2017年に一括して、故郷の島根県に寄贈されました。そして氏の遺志により、本展に出品された後は、島根県のみで公開されることとなりました。つまり、本展は永田コレクションを東京で見ることができる最後の機会でした。
春朗期安永8年 ~ 寛政6年(1779~1794) 20~35歳頃
20歳で浮世絵界にデビュー。勝川春朗と名乗り、役者絵や挿絵本を手がけました。かつてこの時代は単なる習作の時代として、個性的な特徴に乏しいとみなされてきましたが、作品が発見されるにつれ、精力的な創作活動を展開していたこと、そして画狂人・北斎の原点として重要な時期と考えられるようになりました。
宗理期寛政7年~文化2年(1795~1805) 36~46歳頃
勝川派を離れ、琳派の俵屋宗理の名を襲名した北斎は、浮世絵画派とは一線を画した活動を展開するようになります。優美な摺物(非売品の特製版画)や狂歌絵本の挿絵、肉筆画などを多く手掛けます。やがて「宗理美人」と呼ばれる楚々とした女性像を創造するなど、独自の様式を築きました。
葛飾北斎期文化2年~文化6年(1805~1809) 46~50歳頃
当時江戸で流行し始めた読本の挿絵に全力を傾注した時代。中国画的な力強い表現に洋風表現も取り入れた幻想的な画面によって「劇画的世界」を創りだしました。肉筆画では、若々しい少女のような様子から大人の色香漂う艶冶な美人像に変化していきます。一般によく知られた葛飾北斎を名乗ったのはこの時期です。
戴斗期文化7年~文政2年(1810~1819) 51~60歳頃
文化7年に戴斗たいとと号した頃から、北斎の関心は絵手本に移ります。人気が高まるにつれ、増加する門人や私淑する全国の人々に、絵の手本を与えようとしたのだと考えられます。有名な『北斎漫画』を含む多彩な絵手本を矢継ぎ早に刊行します。それまで師から弟子へ肉筆で描き与えることが一般的であったなかで、大量の印刷本による手本は画期的なものでした。また数は少ないながらも、錦絵や肉筆でも新たな世界を切り拓いていきます。
為一期文政3年~天保5年(1820~1834) 61~74歳頃
文政3年(1820)、61歳となった北斎は、号を為一いいつと改めます。そして70歳を過ぎると、「冨嶽三十六景」をはじめとした北斎を代表する錦絵の揃物を次々と生み出していきました。風景画、名所絵はもとより、花鳥画や古典人物図、武者絵、さらには幽霊などその関心はあらゆる対象に向けられました。驚くべきことに、これら色鮮やかな錦絵の出版はわずか4年間ほどに集中しています。
画狂老人卍期天保6年~嘉永2年(1835~1849) 75~90歳頃
最晩年の北斎は肉筆画制作に傾注し、描くテーマも古典に取材した作品や花鳥、静物、宗教的な題材など浮世絵師の世界から離れ、独自の画境を追い求めていきます。長寿を願い、100歳まで生きれば「神妙」の域に達し、さらに描く対象の「一点一格」が生き生きとしたものになると信じ、筆を休めることはありませんでした。嘉永2年(1849)4月18日朝、北斎は90歳で生涯を終えます。「あと10年、いや5年命が保てば真正の画工になれたのに」と言い遺し、息絶えました。
大概の人は知っている葛飾北斎。
だれもが一度は教科書やら何かしらの絵を目にしているかもしれません、それほど有名な絵師ですね。
今回の企画展では生涯を通して作品が展示されており、その技法が徐々に変化するのではなく丸まる変わる様な進化をしている様に個人的には感じました。今まで何度も北斎の作品を観てきましたが飽きることはないなと感じます。今後もまたこのような企画展があれば観に行こうと思います。
葛飾北斎について詳しく知りたい方は、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%9B%E9%A3%BE%E5%8C%97%E6%96%8E
をクリックして下さい。(ウィキペディア)
次回の更新は2月中~下旬頃を予定しております。